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2017年1月25日 (水)

音楽に楽譜は不可欠なのか?

昨日、私のスタジオにバリ島在住の若手ギタリスト二人がリハーサルでやって来た。
ひとりは、昨年のスマランツアーに一緒に行ったスマトラ出身のジャングルボーイ。
もうひとりはジョグジャ出身で、パコ・デ・ルシアを相当耳コピしてギターを習得したらしく、フラメンコ系サウンドを追い求めているスマートボーイのアリフ君。
両者とも20代前半。
ジャングルボーイことレンダ君が、自分の新しい試みとしてこの3人でのライブをやりたいという事からはじまった。そして私から何かを「盗みたい」という事らしい。もちろん、物ではない。
彼らのやりたい方向を見据えながら、曲構成など、アイディアを出してあげる。
彼らは楽譜が読めない。
コード表記はシンプルなものはOKだが、テンションコードになると全くダメみたい。
読譜ができない事にコンプレックスを持っているようだけど、彼らの耳コピ力の高さは素晴しいと思うし、やろうとしている音楽はクラシック音楽ではないのだから、楽譜はあくまでもメモであり、、、という意見を伝えた。
が、実際には読譜ができるに越した事はないというのも真実。私は偽善者?
実際、アリフ君はYogyaのミュージックスクールにエントリーしようとしたら、読譜が出来ないという事で断られたと言っていた。
リハーサルは昨日で2度目だったが、レンダ君は、前回のリハで録音をした私の曲をちゃんと耳で覚えてきていた。
アリフ君オリジナル曲のノクターンは、爽やかサウンドとフラメンコフィールをミックした感じ。もちろん譜面は無いので、私も耳コピしたけれど、細かいフレーズを覚えておくにはそれなりにアタマの中のメモリスペースが必要なので、私は彼の曲を譜面にした。
最近、何度かガムランの練習に参加したときに、微妙に違うフレーズの反復が、私はどうしても覚えられなくて(いや、命がけで覚えれば可能だけれど、そこまでの情熱が傾かないとうのが本音かな)結果的に暗譜して演奏する事が目的ならば、採譜するのはアリだろうと思って、楽譜に書いた。
そもそも、ガムラン音楽を楽譜にする事がナンセンスだけど、覚えられなくてモヤモヤイライラするなら、楽譜で覚えてしまったほうがいくぶん健康的だ。譜面を見ながら演奏する私に、助っ人で来ていたおじさんガムラン奏者は「譜面なんて見てちゃダメだよ」って。(笑)はいはい。百も承知です。。。。
ガムラン奏者の日本人の方にこの事を話したら、その方も新しい曲を覚えるときは、楽譜にすることもあると言っていたので、少しほっとした。
西洋音楽(クラシック音楽)においては、楽譜は必要不可欠。
楽譜がなければオーケストラをはじめ、アンサンブルの演奏は成立しない。
作曲家が譜面上に書き記したさまざまな音楽表記を読み取り、再現し、完成美を求めるのがクラシック音楽。
そもそも、音楽に楽譜は不可欠か?というのは、「1しかないことを10あるように」考察しているに過ぎないのか???
即興演奏は楽譜という概念を取り払った上での音楽だ。
唄をうたうとき(例えば、御詠歌や子守唄)人は楽譜という固定化された概念の中には存在しないだろう。
音楽(Music)は(Magic)だから、種明かしをしたら興ざめかも。
今は亡き尊敬するピアニストが「音楽家は手の内を明かすべからず」と口癖のように言っていた。
全てが解放され自然と宇宙と繋がって。。。。という次元で音楽に向き合っていたらこのトピックは泡のように消えてしまうんだろうな。

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